対談 爆笑問題のニッポンの教養 vs 情熱大陸 後編

  1. 美しく端正なフォーマットよりゴツゴツとした憤りや怒り。番組作りの動機とは。
  2. “ドストエフスキー好き”をテレビのほうに取り戻せ!教養の本質とは何か。
  3. “要するに”で要約されるテレビなんてつまんない。駄々をこね続けるのである。

中野 話が全然変わるんですけど、野田秀樹さんの芝居とか、観ます?
 
丸山 大学生の頃とか観ましたけれど・・・。
 
中野 この間久しぶりに観たんです。舞台もそれなりに面白かったんですけど、実はパンフレットに野田さんが書いていたことが一番心に刺さりました。野田さん曰く、今の世の中、なんでもかんでも【等身大】で描くことに価値を置きすぎであると。ちまちまとした職場の悩みとか、学校の教室でうんたらかんたらとか、家庭内でのああだこうだとか、そういう【等身大】の世界を描いていると、一人の人間のスケールからは、はみ出すことができない。自分は大風呂敷を広げてまことしやかな壮大な大法螺を吹くのだ――というようなことを書いてらして、ちょっと感銘したんです。そのパンフレットを読んだのは一部と二部の幕間の休憩中だったんですが、それを読む前に実は僕、一緒に行った友人に「要するにこれどういう話なの?」って聞いたんですよ。すると、「“要するに”って言った時点で中野さんはダメです」って言われまして。で、そのあとパンフレットの野田さんの話を読んで、そういうことだよなぁと、ストンと腑に落ちた。自分の理解のサイズに収めて、「要するにこういうことね」って言ってる限りは、自分のサイズ以上のことは受け止められない。「自分にわからない=価値がない」といっちゃぁおしまいなわけです。そのことがわからないのは、わからない自分のキャパの問題なんです。で、そのことをちゃんと受け止めて、そのことをわからなかった自分が、そのことをわかる自分になれるように、と渇望するきっかけを、今、与えられているんだ――。とっても言葉がもどろっこしくて、うまく説明できているかどうかはわからないんですけど(笑)、とにかくそういう感じがズドーンと心にきまして、野田秀樹さんはスゴイひとだなって思ったんですよ。で、話は『ニッポンの教養』に戻るんですが、最先端の学者がやっていることを視聴者の等身大サイズに落として「要するにこういうことなんです」って言った時点でもうつまんないんですよ。「よくわからないけどスゴイでしょ!」「あなたが今もってるモノサシじゃ測れないけど、測れないってことがスゴイでしょ」っていうのをドーンって出して、「よくわかんないけど、スゴイよ、きっとこのひとは!」っていう方がいいと思うんですよね。
 
丸山 これはNHKに限らないと思うんですけど、下手するとテレビ制作者の能力って“要するに”って一言で言えかどうかっていうところまできちゃってる感じがありますよね。
 
中野 「要するにこの企画はどういうこと?」っていうね。 また天邪鬼な言い方なんですけど、“要するに”っていうことばでうまくまとめてスイスイ泳いでいるひとを見るとイラってしちゃうんです(笑)。そういう器用なやつばっかりが、テレビの制作者として優秀である、ということはおかしいんじゃなかろうかと。 


丸山 要約できる能力の高い人が優秀であるとか、コンパクトに企画サイズにおさめられる人が優秀であるってことになっていくわけですよね。そうじゃない人ばかりでも困りますけど(笑)、そうじゃない人の可能性も評価していかないとホントにつまんなくなりますよね。約束事の中だけで終わってしまう、つまんないものの再生産の思考でしかないみたいに……。 いま思い出したんですが、かつてディレクターとして美術番組を4〜5年やっていまして。たとえばドラクロワとか、モネとか、そういう画家を特集して番組を作って、完成度も高く評価してもらえたりするわけです。それがすごく皮肉なんですよ。番組を観て“よかった“ドラクロワ”がよくわかった”っていう声をもらうのは確かにうれしい。でも、それは申し訳ないけれどテレビのフレームの中でひとつの物語を作ったに過ぎないんですよね。“よかった”って言っている人が実際にルーブル美術館のドラクロワの前に立ったわけではないと。こうしてテレビが勝手に矮小化されたストーリーを作って、それだけで完結して満足感を与えて、結果的に視聴者を実際にドラクロワの前に立つ体験から遠ざけるような装置として機能してしまうのならすごくイヤだなと。美術番組を見ただけで全てがわかったと思うような人を生むだけに終わってしまうのならば美術番組を作らない方がいいんじゃないのかって。そんな皮肉な気持ちを持ったことがあります。未完成であっても、そのことをきっかけに行動に駆り立てる装置であってほしい。僕の番組は別に不出来であっていい、それを補いたくてルーブルに行きたいという人を増やした方がいいんじゃないかという気持ちがどこかにあります。
 
中野 よくわからんなー”っていうぐらいのほうがよくて、で、“そのわからんところをもっと知りたい”って観終わった後に思わせる方がいい……まぁこれは、自分たちの制作能力の稚拙さを棚に上げてるともいえますが(笑)。すぐに「わかる」とか「わからないとか」判断しなくてもいいですよね。テレビのフレームには納まらないところに、まだ面白いことが残っていそうな感じ、それがちょうどいいんだろうなぁ。
あのー、ちなみに社内的にはああいう番組を作られてるっていうのはどんな感じなんですか? 組織の中でかなりイケてる立場ですか? 来年あたりは紅白歌合戦の演出でも……ってなるんですか? 


丸山 いやいや(笑)。紅白も大河もないと思います。むしろ“あいつはめんどうくさいことばっかり考えるからほっとけ”という感じじゃないでしょうか(笑)。
 
中野 僕はつぎに何かやるんだったらドラマか生放送をやりたいですね。完璧な嘘か、取り繕いようのないリアルをやりたいです。
 
丸山 僕もTBSの「ドキュラマ的な挑戦」に刺激を受けて、こういう方向で、やれればな、と思っていたことがありましたよ。今野勉さんが演出された高橋是清の話で、ある所まではドラマなんだけれど、急にドキュメンタリーになる。“これこそテレビがやることだなぁ”というイメージがあって・・・。いつの間にかジャンルを越えてしまうところがテレビの魅力だと思うんです。先程中野さんから“中継”っていう話も出ましたけど、僕も中継が大好きなんです。自由闊達なメディアとしての可能性はいつでも残しておける。何か妙な実験を始められることが、テレビの一番身軽ないいところだと思います、ドラマもあって中継があるっていうのはよくわかりますよね。
 
中野 テレビは何をしでかすかわからないってことにしておかないと、これだけお茶の間の方々にテレビの手の内を読まれているのはちょっとね。読まれながら「テレビはこのぐらいのことでいい」って言われてるのがまたイヤな感じで(笑)。でも、テレビマンもみんなこんなことはもうわかっていると思うんですけどね。


丸山 いやあ、こんなこと言っているの僕たちだけかもしれない。まるで子供が駄々をこねているように……。でも、こうやって駄々こね続けていないと、3~4年後にボディーブローが効いてくるかもしれない。そのとき後悔しても遅いですからね。

 
中野 丸山さん、もっと忙しくなってください。 駄々こねてる暇がないように(笑)……。 


丸山 じゃ、お互いにどこまで子供でいられるか、駄々っ子比べでしょうか(笑)。

 

特集バックナンバーはこちら

ご感想をお寄せください

当フォームより、ご意見・ご感想をお寄せください。
いただいたご意見・ご感想は番組制作者へお届けする場合がございます。

ご感想を入力

最新のインタビュー